――『涼宮ハルヒの憂鬱』のTVアニメ放送から10年経ちましたが、皆さんから見て“『ハルヒ』から10年”という時間をどう捉えられていますか?

斎藤 滋 10年は僕的には早かったなという印象があります。『ハルヒ』は僕がアニメの音楽制作を初めてやった作品なんですが、もう10年経ったのかと。長い10年というより早い10年という印象ですね。僕がランティスに入ったのが2005年でした。そしてこのアニメーションは2006年の作品だったんです。この作品で音楽プロデューサーという肩書を初めてもらった作品なので思い出深いものがあります。何もわからないまま周りの皆さんに教えてもらいながら作ったことを覚えていますね。

鶴岡陽太 10年経つとみんな立派になって(笑)。10年は重みのある時間だなと。そもそも神前くんとは初めて仕事させてもらって、斎藤さんもほぼ初めてで。やっぱり10年経ってみると、10年間の重みというのはみんなあるんだなって思いました。自分は変わる様子もない10年だったんだけど(笑)、そんなことを思いましたね。

神前 暁 僕も初めてやったTVアニメ作品なので、そこからキャリアがスタートしているということを考えると、10年って長いな、その間にいろいろあったなっていう感じですね。その後も幸い沢山のアニメ作品に関わらせて頂いたのですが、その原点にあるのがこの作品であるというので思い出深いものがあります。

――ではその10年前、いわゆる『ハルヒ』音楽の発端からお伺いします。まずは神前さんが『ハルヒ』の劇伴を担当するに至った経緯を改めて教えてください。

神前 僕の高校、大学時代の友人の山本 寛君が当時京都アニメーションで演出をしていたんですね。そこで『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品があるよということで山本君から話を聞いて。何度か京都アニメーションの方々とお話をするうちに実際に「お願いします」と。

斎藤 『ハルヒ』はそうでしたね。最初から「神前さんで行くよ」という話でした。

神前 僕もナムコを辞めて最初の仕事なので、いわゆるアニメ音楽の制作のことは知らなくて、そこでランティスさんともはじめましてでしたね。

斎藤 うちは角川書店さんから音楽制作をしてくれと言われていて、そこで現場に行くと「作家は神前さんで決まっているんですよ」という話になっていました。多くのアニメ作品の場合は、音楽プロデューサーが劇伴作家選びから決めていくことがほとんどです。まれに監督さんや企画側の強い希望で「この人でやりたい」と最初から希望が出ている時があります。そういうときは意向を尊重して、指名されたその方にすることが多いです。『ハルヒ』の場合もアニメーション制作サイドが神前さんで行きたいと決めていたので、そこからのスタートでした。

神前 よくOKしてくれましたね(笑)。

斎藤 角川の伊藤(敦)さんも「神前さんで行くからね!」とノリノリだったので(笑)、うちらもそれでいこうと。

――ちなみにアニメ放送前の現場では、のちの大ヒットを予見するような雰囲気はあったんですか?

斎藤 スタッフ会議の場では、小説がすごく売れていたので期待感はあったものの、アニメーションもヒットするかどうかは、わからなかったんです。「売れたらいいな」「売れるに違いないぞ」と信じるのみで。そして蓋を開けてみたら大ヒットでみんなびっくり「これは勝てる」という確信があって制作委員会が動いていたというわけではなかったですね。

神前 確かにそういう確信はなかったですね。当時はまだゲーム原作のものとかが強くて、新規のラノベ原作というものがあまりなかったですね。

斎藤 当時はゲームが強かったですもんね。『D.C.~ダ・カーポ~』とか『AIR』とか。PCゲーム原作が多かった印象です。

神前 京都さんは当時Key作品のアニメ化を多くするというイメージもありましたね。

鶴岡 僕もラノベとかよくわからなかったですから(笑)、そんなに意識はなかったですね。ただ『ハルヒ』は周りの様子を見ると、「これは売れないとまずいんじゃないか」っていう雰囲気は結構ひしひしと漂っていたと思います。要するに期待は大きかったんじゃないかなと。

――またTVアニメも第1話がいきなり「朝比奈ミクルの冒険 Episode 00」から放送されるなど仕掛けが多かったですが、そういったところは音楽制作に影響がありましたか?

神前 アニメが初めてだったからなあ……こういうものだと思っていたのかな(笑)。

斎藤 まず「朝比奈ミクルの冒険」という仕掛けが面白いなっていうのはありましたね。音楽もチープに、テレビの画格もハンディで撮ったようにするとか、そういう仕掛けをする勢いを制作サイドに感じるものがありましたね。細かいところにこだわっているなって。

鶴岡 面白いことをやる許容度のある原作、という感じですね。もともとの谷川さんの発想がすごいじゃないですか。それがいろんな許容度を生み出して、好き放題やったというのがありましたね。「ハレ晴レユカイ」のダンス演出とか、今になってみれば当たり前の気もするけど、当時は誰もやってなかった。

斎藤 スタッフの遊べる幅は広かったですね。まだヒットする前だから、現場の自由度が高かった。ヒットするとそういう自由度は狭まってくるんですけど、ハルヒの初期はスタッフが好き勝手遊び放題やっていました。ヒットしたのはその結果なんでしょうね。だから初期のころは少なくとも僕の視野の範囲では、プレッシャーは全然なかったですよ。2期のときはすごくありましたけど。1期はとにかく「楽しいものを作ろう」という。

――「朝比奈ミクルの冒険」など、TVアニメの放送は時系列順ではない特殊な放送スタイルでしたが、音楽制作はどのように行われていましたか?

斎藤 「朝比奈ミクル」はもう別物でしたね。別進行でやっていたと思います。

鶴岡 放送順に頭の6本分くらいはまとめてオーダーして、残りは追加でという感じでしたね。

神前 そうか、放送順に作っていたんですよね。本編の時系列ではとびとびになっていたんですけど。

鶴岡 放送の序盤のほうでは、“一風変わった学園物”をやっていて、音楽もそういうオーダーになっている。

斎藤 話がバラバラだから、モチーフ的なものを摘んで行くという作業には難しかったんですよね。

神前 そういう意味では統一性はあまりなくて。普通の劇伴としてというよりは、良くも悪くも曲の主張が強いんですよ。

――今、手元には今回の取材用資料として、“『涼宮ハルヒの憂鬱』音楽メニュー案”という表をコピーしたものがありますが、いろいろ書いてありますね。劇伴は「全体的におしゃれ」とか、具体的なアーティスト名も書いてあったり。

斎藤 これは企画側から出てきた音楽リストのメモで、これをもとに鶴岡さんも交えて話し合ったんですよね。

神前 そこでこれじゃあ足りないからって曲を追加したんですよね。

斎藤 音楽制作作業自体は2006年頭ぐらいから始めて、放送1ヶ月前ぐらいにダビングをしているんですよね。4月放送のアニメで、年初の段階でこの表があるのはスケジュール的にいいほうですね。

神前 最初に半分ぐらい出して、そのあと作画の進行にあわせて追加で書く、というのは劇伴作りでは一般的ですね。

――物語序盤は日常的なシーンが多かったこともあって、神前さんが最初に出した劇伴はポップなものが多いですよね。『ハルヒ』のサントラはこうしたイメージが強いです。

斎藤 ハルヒの劇伴は全体的にオシャレ、ピチカート・ファイブやcapsule、Cymbalsをイメージしたものという方針がありまして、その方針が全体を支配してくれているから、サントラとしてまとまっているのかなと思います。

神前 そうですね、日常系は特に。

斎藤 とにかくオシャレという方針があって、トータルで聴いたときにとっちらからないのはそういう方針の指示がしっかりあったからだと思います。

鶴岡 特に意識したわけではないけど、「いつもの風景」がメインテーマになった気がしますね。これは名曲ですよ。これぞ(バート・)バカラックという(笑)。逆にびっくりしましたけどね。オーソドックスな曲を当たり前のように入れるというのは、逆になかったんじゃないかな? 良質なポップ・チューンが劇伴にはいちばん足りないんですよ。だから今も、いつも発注のときに言うんですよ、「良質なポップ・チューンをお願いします」って。

斎藤 言いますね(笑)。

鶴岡 良質なポップ・チューンが生み出される機会ってなかなかないんですよ。そういうことですよね、普遍的な、誰もが聴いても「いい曲だな」って思えるものですよね。

――まさに、神前さんが作った劇伴はメロディも立っていて、耳に残るサウンドが多いですよね。

鶴岡 当時はバックボーンも知らない、ゲーム音楽をやっていた人ですっていう情報しかないから、何が出てくるんだっていう(笑)。

神前 ハマってよかったです(笑)。1期に関しては、たぶん僕のやる気が空回りしていたというか、気合いが入りすぎていたのかなと。劇伴って適度の力の抜き具合も大事なのかなって10年経って思うんですよ(笑)。『ハルヒ』は全曲シングル曲みたいな。

鶴岡 劇伴というより一般的普遍的な音楽という、こんにちに至る神前くんのカラー、神前くんのベースだってすごくよくわかる。良質なポップ・チューンというのが出ているのかなと。スタイルは一般的な音楽としてきっちりしたものがあるから、現代音楽をお願いしてもちゃんと一般的な、ポップなものを出してくれるという。そこから『らき☆すた』(2007年)に繋がるというか。

神前 『らき☆すた』はだいぶ力が抜けていますね(笑)。

斎藤 コツがわかったんだ(笑)。

神前 『ハルヒ』は一番絞り的な濃さ(笑)。

斎藤 メロディが立っているものが多いですもんね。

神前 当時は何もわからなかったので、とにかくできる限りクオリティは上げていこうと。多分密度は高かったと思います。時間もかかっていますし。

斎藤 うちの伊藤(善之。ランティス副社長)が、神前さんにアドバイスしていましたよね。「ループで終わるな」というか……。

神前 「ダ・カーポ(曲の冒頭に戻ること)して終わるな」と。頭と終わりが大事なんだよって。ゲームBGMというのはループが基本ですからね。

斎藤 「アニメはエンディングが大事なんだよ!」って。

神前 そこはゲーム音楽との大きな違いですよね。

――実際に「朝比奈ミクルの冒険」が放送された直後からものすごい反響がありました。やはりその熱量というものは制作サイドにも届いていましたか?

斎藤 とにかく盛り上がっているなっていうのはわかりましたね。第1話のときからすごかったというのは覚えています。

――斎藤さんとしても挿入歌集やキャラソン・シリーズなど、たくさん仕掛けられていましたね。ちなみに「恋のミクル伝説」は主題歌に先駆けてテレビで流れましたが、ランティスに問い合わせも多かったんじゃないですか?

斎藤 たぶんあったと思います、当時。「恋のミクル伝説」は「God knows...」と「Lost my music」とセットにして売るという話(『涼宮ハルヒの詰合』)でした。アニメで「God knows...」の流れた直後のCM枠で「涼宮ハルヒの詰合」の告知をしました。それを見たお客さんがみんなびっくりしてお店に殺到するという現象がありました。それは狙ってやりましたね。

――伝説の第12話「ライブアライブ」ですね。

斎藤 僕もハルヒが音楽プロデューサーとしての初仕事だったので、それ以前と比べて自由にやれることも増えたので、いろいろやってみようと。自分から考えたり、角川の伊藤さんからのアイデアもありましたし。それをミックスして色々と仕掛けたりもしました。とにかく世間を面白おかしく騒がすことをモットーにするんだ!というのが『ハルヒ』の制作陣の共通思考でした。当時伊藤さんからの「もしも涼宮ハルヒだったらどんな仕掛け方をするのか常に意識していきましょう」という号令が敷かれていて、ただの宣伝ではだめだ、常に面白いことをしようっていう発想でみんな動いていたんですね。

鶴岡 『ハルヒ』はもちろん作品の総合力の部分というのがあったけど、歌の力が大きいねと。これ以降いろいろな作品をやるにつれ、歌の力は大きいよって認識しながらやっていく最初になっていった感じですね、「God knows...」もセンセーショナルでしたし。

神前 あれは映像とかシーンの持って行き方もすごかったですからね。

――12話「ライブアライブ」の、ハルヒたちが実際に文化祭で演奏するライブ・シーンは語り草になっていますが……。

斎藤 あの演奏しているシーンも、まず「演奏している動画を撮って来てくれ」って言われて、僕も初のことだったので作画資料としての動画っていうのはどうやって撮ったらいいかわからないまま、スタジオで楽器の手元を延々と撮っていたのを覚えています(笑)。

神前 長門はギターが上手い設定だったので、高校生っぽくというのはなく、「逆にテクニカルでお願いします」っていう話だったのを覚えています。ギターは西川(進)さんですよね?

斎藤 そうです。長門を想定としたソロ(リードギター)は異常に上手くて、ハルヒの演奏は普通な感じでお願いしますっていう話でしたよね。

神前 結果みんな上手くなっちゃったんですけど(笑)。

鶴岡 高校生が弾いているようには聴こえない(笑)。

斎藤 当時スタジオで西川さんと、小田原豊さん(ドラムス)、種子田健さん(ベース)のお三方が「高校生っぽくかぁ……」って皆さんで悩みながら録音をされてました。

神前 あれがハルヒ案件で最初にスタジオに入って収録した楽曲でしたよね。作画用に演奏している映像が欲しいというので、最初にスタジオに入ったのが「God knows...」と「Lost my music」だったんですけど、当時はバンド用の楽譜の書き方もわからず、ドラム譜も楽譜に玉で細かく書いていって困られるという(笑)。

斎藤 僕も初めてのバンド録りで、スタジオ入ってちょこんと座って。バンドの皆さんが「じゃあ始めますか」ってなって、「どのきっかけで始めればいいんだ? テイクは何回までお願いしていいんだ?」って(笑)。

神前 あれは勉強になりましたね……。

――そしてアニメ第1期から3年後、TVアニメ第2期が放送されました。実は2期の劇伴のCD化はこの『涼宮ハルヒの完奏』が初なんですよね。

斎藤 そうなんですよ。2期の劇伴をCDという媒体で収録したのは初めてです。あと2期の曲はお蔵入り(未使用)がとっても多いんですよ。それは鶴岡さんのオーダーに沿って作ったというよりも、僕と神前さんとでたくさん作らなくちゃいけない事情があったんですよ。

神前 「エンドレスエイト」用ですね。最初のコンセプトで、毎回曲を変えるという話があったんですよ。

斎藤 8話分新規で作るって話だったんです。コンテも演出も全部変えるから、音楽もっていう話だったんです。

神前 ただ作りはしたものの、結果そんなに要らなかったんですよね。

鶴岡 要するに……思い違いだったねという(笑)。実験してみてわかったという。

神前 これは聴いていただくとわかるんですが、長門が壊れていくに従って、曲もどんどん壊れていく。ノイズみたいな曲がどんどん増えていくんですよね。それは意識したわけではなくて、僕のヤケクソ具合が……(笑)。

斎藤 神前さんは同じシチュエーションとお話で全部違う音楽を作るというミッションに対して「どうしたらいいんだ!?」って、ちょっと自暴自棄になっていたんですよね(笑)。

神前 これは僕だけじゃなかったですよ。

鶴岡 あれに関してはこっちも8回アフレコしましたからね。だから杉田(智和)が壊れていくのと、神前くんが壊れていくのはシンクロしていたと思う(笑)。あのストレスが大きいですよ。

神前 でも、2期というと「エンドレスエイト」が真っ先に出てしまうのはいかがなものかと。ほかにもいいエピソードがあったのに。

鶴岡 「笹の葉ラプソディ」とかね。

斎藤 2期は「笹の葉」と「エンドレスエイト」の印象が強烈に残ってますね~。

――初めて音盤として聴ける2期劇伴ですが、さらに未使用楽曲もあって、またあらたなかたちで2期を振り返ることができますね。

斎藤 神前 暁の心境の変化というものも聴くことができる。ただ今聴いてみるとわかるんですけど、なかなか長時間聴けるものではないんですよね。長門が壊れていく様を表現したノイズサウンドとかは特に凄くて…。あと曲名は僕がつけたんですけど、これまた長門が壊れていく様の話ですが、これらのタイトルの付け方は……我ながら結構ヤケクソ感があります(笑)。「傍若無人にもほどがある」とか、「神経細胞がちぎれる音」とか(笑)。1期のタイトルと比べると全然違いますよね。1期のタイトルは「おいおい」とか平和なものが多かった。

神前 2期になるとジャーマン・テクノやジャーマン・プログレの邦題みたいになる(笑)。そういう意味でも、2期の劇伴は一種のライブ感がありますよね。

――こうしてアニメ『ハルヒ』から10年経った現在、『ハルヒ』の音楽をみなさんはどう捉えていますか?

斎藤 そうですね。『ハルヒ』を観て声優になりましたという人や、アニメ音楽家、アニメーターを志した人もいますよね。

神前 そうですね。うちの田中(秀和)なんかも『ハルヒ』を観ていた世代ですよね。あとこの前平野 綾ちゃんがイベントで歌っていたのを観たんですが、ありがたいことにいまだに耳にする機会が多いですよね。

斎藤 そうですね。「God knows...」が入った『詰合』は、いまだに出荷が続いているんですよ。

神前 カラオケランキングでも上がっているんですよね。10年前の曲で残っているのはなかなか珍しいですよね。

――『ハルヒ』の音楽が今なお愛される理由というのはなんだと思いますか?

神前 当時としても別に新しいサウンドではなかったんですよね。むしろ懐古的というか、だからこそ古くならないというのはありますよね。

斎藤 特別なことはしていないから、いつ聴いても普通なままでいられますからね。ミックスなどは時代性を感じるところもあるんですけど、根本の音楽としてやっていることは普遍性がありますね。

――では最後に、『涼宮ハルヒの憂鬱』とは皆さんにとってどんな存在でしょうか?

斎藤 初めて自分で全て音楽制作を担当した作品なので、いろんなことを教えてくれた先生のような作品ですね。これを通して、劇伴の作り方や流れを知ったり、アニメーション制作会社の方との付き合いも知ったし、現場で誰に気を使えばいいかも知ったし(笑)。予算はどうだとか、すべてを学びました。本当に先生のような作品です。これがなかったら今の自分はないかなと。

神前 僕も初めてのテレビ作品で、今聴くと拙い部分もあるのですが、一番搾りのエッセンスの濃いところが出ているので、たまには初心に帰って参考にしようかなと(笑)。困ったときはここに聴き返してみようかなと思います。失ったものが、10年間で摩耗したものがあるかもしれないですね(笑)。

鶴岡 おふたりみたいな新鮮なきらめきはなかったんだけど(笑)、やっぱり現在やっているモダンなアニメーションの原点的な部分がって、今に繋がるものがあると思います。現在のアニメの発端というか。先駆け的な、原点という感じがしますね。

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